平成の江戸

自己分析用ブログ

【備忘録】同級生が亡くなった

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【備忘録】同級生が亡くなった

 昔、交通事故によって、同じクラス、それも席がすぐ前の同級生が亡くなった。

 

 中学1年、それも終わりかけの時の話。春休みまで、あと2日だったと記憶している。

 

 その日、自分は残雪に滑って派手に転倒し、遅刻寸前に教室に駆け込んだ。

 当時の自分は時間にルーズだった。

 滑ったから遅刻寸前になったのではなく、遅刻寸前だったからこそ、焦って滑ったのである。
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 教室に入ると、何故か中3担当の先生がいた。

 HRも、その先生が担当だった。

 

 ……異例である。

 何かしらのイレギュラーで、担任の先生が対応できない状況にあることは、ポンコツの13歳の頭でもよく分かった。

 

 中3担当の先生からは、生徒の1人が交通事故に遭ったらしいということだけ伝えられた。

 接触事故くらいにしか思ってなかったので、あまり気に留めなかった。

 

 だが、クラスの男が一人、いないことに気づく。

 ムードメーカーのようなポジションで、風邪をひくようなタマではなかったため、事故に遭ったのはそいつだと皆が察した。

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 イレギュラーはあったものの、皆あまり深くは考えず、1時間目~3時間目~給食~昼休み~4時間目と平然と過ごした。

 だが、4時間目終了後、副担任の先生より、5、6時間目が削れ、体育館に来るように指示が飛んだ。

 

 そこで、ほぼ全員が察したと思う。 

 だが、誰も恐れてそれを口には出せなかった。

「まさか……?」

 皆が、恐ろしい形相で顔を向かい合わせていた。

 起こったのは、そのまさかだった。

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 1学年が全員、体育館に集合。

 そしてその日初めて、担任の先生の顔を見た。

 いつも通りだった。

 

「あ、先生普通だわ」

 

 皆が安堵した。

 そして、交通事故に注意喚起を促す通知が配られた。

 

「午前〇〇時〇〇分ごろ、うちのクラスの〇〇が事故に遭いまして、それから病院に救急車で運ばれるってことがあったので、皆さん最低限気を付けているでしょうけども、今一度交通安全に気を引き締めて臨んでもらいたいという連絡です」

 

 それだけだと思った。

 それだけであって欲しかった。

 しかし……それだけを連絡するのなら、わざわざ体育館に一学年集める必要はなかった。

 

「○○は、午前××時××分………………

 

 3秒にも満たないこの沈黙は、長かった。

 

 ……亡くなりました

 

 物凄い衝撃が心臓を走り抜けた。

 先生の顔が苦痛に歪み、涙がポロポロと零れていた。

 

「もう、○○は帰ってきません……だから、○○の死を、無駄にしないように、これから……」

 

 寂しいことに、先生の言葉を一字一句は記憶していない。

 衝撃は鮮烈に覚えている。

 

 それが、奴の亡くなった当日の事だった。

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 それから3晩……魘された。

 

 奴が車に撥ねられ、死ぬ瞬間が想像された。

 もちろん想像に過ぎないが、きっと本物は何よりも凄惨だったに違いない。

 

 奴が無念を晴らすために、友人を連れに来るのではないかと。

 暗闇が怖かった。

 

 振り返ったら、半透明になった奴が、地獄の形相を浮かべているのではないかと。

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 その後、告別式の日程が組まれ、皆で参加することとなる。

 

 自分は、中学校に進学して初めて奴に会ったが、小学校の6年間、更にはそれ以上昔から、奴と知り合っている縁故の深い者もいた。

  

 そのような者のほとんどが、顔面蒼白……

 まるで死人のような顔色だった。

 喜怒哀楽のどれとも名状しがたい……能面のような顔がいくつもあった。

  

 例え縁故が深くなくとも、一台の車が一人の人間の命を吹き飛ばしたというニュースは、ショッキングである。

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 のちに、詳しい話を聞いた。 

 

 風で飛ばされた自転車の反射板を取りに行き、不注意の車にはねられたという。

 救急車が呼ばれたのち、丁度道を通りかかったという元看護師の方のサポートを受け、あらゆる蘇生手段を試みたらしい。

 それでも意識は戻らず、胸部を切開し、心臓を直接マッサージするという方法まで取られたようだが、奴はそのまま目覚めなかった。

 

 ほぼ、即死状態だったのである。

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 供え物をするため、現場に赴いたこともある。

 

 奴の命が吹き飛んだ場所は、一目で分かった。

 道端に何本も直立していた木の杭が、1本だけ異常に傾いていたからだ。

 恐らく、車に弾き飛ばされ、この木の杭を直撃したのだろう。

 

 人間って、こんなあっさりと死んでしまうのか。

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 奴とは、出会ってまだ1年経たず、決して親友とは言えない間柄だったが、同じクラスにいて、必ず1授業に1度はコミュニケーションを取ることになるような、憎めない奴だった。


 死んだと聞いたその時その瞬間には、何の感情も出なかった。

 その、心臓に楔を打ち込まれたような鋭く重たい衝撃や、涙をポロポロ流しながら、生徒にそれを報告する先生の姿は、今でも、心臓にも脳裏にも焼き刻まれている。

 

 それから……

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 奴があっちの世界に行って、足掛け12年……

 今になって当時の奴を振り返ると、凄く人間性の卓越していた男だったことに気づく。

 

 頭もよく、運動も出来て、コミュ力も高い。

 決して芸に長けた部類ではなかったが、バランスの高さは素晴らしかった。

 奴は中1の時から、進路となる高校を、本質的かつ多面的に模索していた。

 

 中学受験の失敗に心を砕き、陰で荒ぶり、点数ばかりを追いかけていた思春期の自分とは、全くの大違い。

 

 生きていれば、大人物になっていたのではないだろうか……

 

 ベタな結びとなってしまうが、あの日吹き飛んだあいつの分も、同級生一同、命を燃やしていきたい。

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〇更新記録 

・2023年9月3日 記録

・2023年10月23日 更新

・2023年11月17日 更新

・2024年7月1日 更新

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【趣味】資格狩り

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【趣味】資格狩り

 趣味なのか、それとも業務なのか、線引きの曖昧なところだが、いずれにせよ「資格を取ること」そのものを目的としている。
 学生の肩書を捨て去ってもなお、そのように勉学に関心が向くのは、恐らく受験に心を燃やしていた12年の名残であろう。
 
 これら資格と取得の過程は、必ず未来の自分を助けるはず。
 もしかしたら他人も助けられるかも。
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☆戦績・予定など一覧

〇情報系

ITパスポート:不合格(2019, 2024)/勉強・能力不足。

 →

MOS:欲しい

基本情報技術者:資格の名前以外知らない。

応用情報技術者:受験予定なし。

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実用数学技能検定

4級:合格(2011年)

3級:合格(2013年)

準2級:受験予定なし

・2級:未受験(勉強中)

・準1級:未受験(受験予定)

1級:高校数学から省かれた内容が含まれるため、受験予定なし

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実用英語技能検定

2級:合格(2016年)

準1級:不合格(2016年)、2級合格から3か月ではそもそも無理があった。

 →

1級:不合格(2024年)、LRWのいずれも水準に達せず。勉強方針は合ってた。

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日商簿記

・3級:未受験(勉強中)

・2級:未受験

・1級:未受験

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〇FP技能士

・3級:未受験(勉強中)

・2級:未受験

・1級:未受験

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ビジネス実務法務検定

・3級:未受験(勉強中)

・2級:未受験

・1級:未受験

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日本漢字能力検定

4級:合格(2011年)

3級:合格(2012年)

準2級:合格(2013年)

2級:不合格(2019年)、メンタル不調でそれどころではなかった。

 →

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〇法律系

・宅地建物取引士:未受験(30歳までに欲しい)

貸金業務取扱主任者:未受験(すぐ欲しい)

中小企業診断士:未受験(40歳までに欲しい)

行政書士:知ってるだけ

司法書士:雲の上

・司法予備試験:雲の上(合格率1桁とのこと)

・司法試験:雲の上

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〇更新記録

・2024年7月1日 記載

・2024年7月3日 更新

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【特別備忘録】バットエンド受験物語

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〇プロローグ

 この世に生を持ってから、足掛け12年……

 それまでずっと、甘やかされ続けてきた。

 満11になって、初めてそれに気づいた。

 

 あの年は、暑い暑い夏だった。

 それからさらに14年経ち、25になった今でも、その熱気をまざまざと思い出せるような、生々しい夏のことだった。

 
 祖父さんが死んだ。


 祖父さんは、しばらく前から身体を壊し、入院していた。

 しかし、死ぬなんてことは、考えていなかった。

 訃報を聞いてなお、実感が無かった。

 目の前に横たわり、そして棺桶の中に運ばれる、生気のない祖父さんの亡骸は、亡骸に過ぎず、別の物体のように思えた。

 

 実感が沸かないというのが主たる理由ではあるが、悲しみは無く、涙も出なかった。

 しかし、それにはもっと別の要因がある。

 

 祖父さん……

 俺にとって約10年、当たり前のように一つ屋根の下に位置していた存在が、煙のように消えていなくなる。

 祖父さんは、”消失”と引き換えに、とんでもない遺産を俺に相続させたのである。

 

強烈な問題意識

 

 祖父さんを失ったことで、当時の俺は当時の現状に対し、物凄い反感を覚えた。

 甘やかされてきた過去……

 祖父さんが旅に出た現在……

 

 いざ顧みて、今までの当たり前が、当たり前ではなかったこと、さらに、その当たり前は未来にあり得ないことを痛感したのである。


 予想にも出来ない、恐ろしい未来……

 

 これが、忌まわしき「受験地獄」への誘いだった。

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〇中学受験編

 祖父さんが死んだ時、俺は小学6年生だった。

 その夏……

 何とか現状を変えないと……と思った当時の俺は、がむしゃらに自主学習をやった。

 計画性の欠片も無い。 

 ただただ、持っていた教科書や問題集を片っ端から見直し始めたのである。
 

 

 あろうことか「中学受験」という選択肢が克明に降ってきたのは、その時だった。

 受験本番まで、半年も無い。 

 それまで、やらされる以外の勉強の手段を持っていなかった俺には、あまりにも厳しい状況だった。

 だが、世間知らずの当時の俺にとって、そんなことは関係なかったのである。

 井戸の中の蛙は、自身を大海にいる者と勘違いするものである。
 

 何かに憑りつかれるように勉強していた。

 中学受験を視野に入れない生徒がやっているような、基本的な学習はもちろん、過去問演習に加え、能力向上のために百ます計算などに勤しんでいた。 

 受験ルーキーの江戸を駆動していたその何かは、恐らく祖父さん死去と引き換えに得た「問題意識」であろう。
 

 そうして6か月……

 

 翌年1月某日の、受験日……

 国語……

 算数……

 理科……

 社会……

 とにかく、残された期間で、出来る限りのことをすべてやり、人事を尽くした。しかし……
 

残念ながら不合格です

 

 ネットのHPに映し出されたその10文字は、当時の自分にとって何よりも残酷だった。

 心臓に楔を打ち込まれたような衝撃は、長らく続いた。 

 はっきり言って、祖父さんが死んだ時以上にショックだった。

 

 何度、受験番号を打ち込んでみても、同じ10文字しか出てこない。

 当たり前の事なのだが。

 そこから、小学校を卒業するまでの2ヶ月は、不毛だった。 

 細かい事情をあまり記憶していないのだが、当時の自分は、同級生をあまりよく思っていなかった。

 6年間連れ添ってきた仲であるのにも関わらず。

 

 だから、彼らと同じ公立中学……受験しなくても行ける学校に行くことに、物凄い抵抗を覚えた。 

 

「彼らを始めとした他者を見下し、蹴落とす以外に、自分を立てられない」

 

 この忌まわしき性格が、長らく自分を蝕むことになる。

 それは、十数年経過した今になって、ようやく分かったこと。

 問題の真ん中にいると、問題が見えないのである。

 火中に巻かれて、火元が見えないのと同じである。

 

 ちなみに、家から通える範囲に、他の学校はなかった。

 あったとしても「公立中学に行きたくないから」なんて曖昧な理由で、中学を受験している時点で、その受験は失敗している。

 落ちたくない理由はあっても、受かりたい理由が無いからである。

 

 しかし、自然と心は高校受験に向いた。

 

県内トップの高校に受かり、この失敗を清算する

 

 下向きになったモノの、後ろ向きにならずに、前の目標を創れたのは良かった。

 だが、この計画も、既におかしいのである。

 なぜなら、受験失敗を人生失敗と飛躍している。

 

 どうして、この不合格を失敗と言いきれたのだろうか?

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〇高校受験編

・1学年前期

 同級生の皆がやっていない時期に勉強をやっていたのであるから、学力水準は当然高い。だが、あくまでそれは、1公立中学校の1学年内というだけのことである。

 やってない人より、やった人の方が当然できる。

 だから俺は、”やる”子ではあったが、”出来る”子ではなかった。

 

 新入生テストは、1位だった。

 すれ違う同級生の誰よりも点数が高い。

 

 当時はやはり、奢り高ぶった。 

 俗に小学校と言う時代は、学業において、明確に序列をつけるようなことが無かったので、1位を獲るという経験が非常に新鮮だったのである。 

 

 だから、その2か月後、中間テストでは14位に降格。 

 これは、奢り高ぶったのが原因と考え、気持ちを改めた。

 

 第1学年第1学期末テスト……これが問題だった。


 英・国・数・理・社に加えて、技術家庭・音楽・美術、保健体育を加えた9教科。

 学年順位4位だった。

 14位からの4位とくれば、傍から見れば一見凄くも見える。

 だが、俺は、期末テストまでの3週間、出来る限りの努力をすべてやったのである。

 断然トップの1位を獲得していると思っていた。

 

 しかし、テスト個表を開けてみれば4位……途方にくれた。

 努力の仕方や、勉強の仕方が、良くなかったのだろう。

 

 どれだけ復習しても、このテストの点数は変わらない。

 そうして夏休みに入る。

  

 ここで、目標を少々切り替えた。

 数学検定4級、漢字検定4級、英検4級のトリプル受験を目指したのである。

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・1学年後期

 数学検定4級、漢字検定4級、英検4級のトリプル受験……

 この目標について、良くなかったのは、がむしゃらであったこと。

 手当たり次第に問題を1周しただけで、試験に臨んだのである。

 さらに良くなかったのは、受かってしまったことだった。

 

 英検4級、数検4級、漢検4級に合格したが、特に喜びは無かった。

 ここで、落ちていれば、俺は根幹にある姿勢と過ちに気づいたかもしれない。

 そして、幸の形をした不幸は、どんどん重なっていく。

 

 実力テスト、定期考査は、2回連続で5位……

 今振り返ると、これが3連4級合格の喜びを相殺したのだろう。

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・1学年終末

 俺はまた、狂ったように猛烈に勉強を重ねる。

 がむしゃらだった。

 勉強をして何かを成し遂げるのではなく、勉強をすることが目的になっていた。

 

 狂っている。いや、狂っていた。

 

 冬季の、学力診断テストは1位

「素晴らしいです」

 先生の言葉を覚えている。

 

 だが、やはり満足できなかった。

 

 その後、インフルエンザに罹患。

 そのせいではないと思うが、学年末考査では、2位だった。

 しかし、この結果を喜んでいた気がする。

 

 1位になることより、4位→5位→2位となったことに、達成感を覚えたのである。
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・2学年前期

 この辺りから、嫉妬心が深くなった。

 勉強は出来ると自負していた。自負というより、自画自賛だ。 

 本当はやるだけで出来てはいないのだ。

 

 ただし、社会人が良く言うように、テストの点数で人間の価値は決まらない。

 この辺から、人間力を視野に入れるようになった。

 日記をよく取るようにした。

 委員長や、班長などの、リーダー職を務めるようにした。

 

 ただし、ここでは受験対策の勉学に焦点を置く。

 
 2学年前期の主たるイベントは、漢検3級と、英検3級である。 

 先に言うが、どちらも一発で合格した。

 漢検に対しては、ほぼノー勉で合格した。 

 ノー勉とはいうが、正確には出来なかったというのが正しい。

 計画性に欠点があったのである。

 いつもやっていた、新聞や書籍の読解が、ノー勉の非を埋めてくれたのだろう。

 

 しかし、どちらも受かってしまったことで、その計画性の悪さは、明るみに出なかった。

 

 英検3級は、計画的だった。

 漢検が疎かになったのはこれが理由だろう。もちろん理由にはしなかったが。

 一度解いて、分からなさに悶絶。

 それが「語彙」の欠如によるものと察した俺は、3年の分野にまで視野を延ばし、単語数を増やした。 

 そうして一次試験を突破した。

 二次試験は、先生方他二名による手厚い修行により、合格点の二倍に近い点数を取ることが出来た。


 ※現在、社会人として英語を使うことが出来るのは、この恩師2名のお陰である。

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・2学年後期

 学習相談、部活1、部活2、塾、宿題……

 忙しい夏を経たが、夏にためた勉強貯金は、実力となった。

 中間テスト、実力テストにおいて、2回連続で学年1位を獲得。

 

 ……その後、何故か2位どまりで、1位に上がれなくなった……
 
 そして、ストレスが溜まる。

 そのストレスは、追いつけない自分に端を発しているのであるから、並の方法で取り除くことが出来ず、更に根絶も出来ない。

 

 当時は、そんな余裕のない精神状態だった。
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・3学年前期

 中学受験失敗に端を発する、強烈なストレス。

 今振り返っても、当時の自分にどうこうすることは無理だっただろうと溜め息が出る。
  

 それを、根絶する方法として、当時の自分が提示したのは、

「日本最高クラスの学校に進学する」

 

 ここは実名を貼る。
・東京「開成高校
・東京「筑波大学付属高校
・神奈川「慶応義塾大学付属高校」
・埼玉「慶応義塾大学付属志木高校」
・千葉「市川高校」
・千葉「渋谷教育学園幕張高校」

 

 いずれも、公立中学1位などという生半可な能力しか持っていない俺には、到底1年の努力でたどり着ける境地ではなかった。

 そもそも、自身についたお尻の火すら消せない俺は、仮に受かったとしても、3年間、その学籍を維持することは出来なかっただろう。

 

 それでも、最高水準のレベルの問題集と、近くの本屋で手に入った過去問を武器とした。
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・3学年「最悪の夏」

 自分の生まれ育った都道府県内にも、東大に多く進学者を輩出するような進学校があった。

 だが、当時の俺は、その程度のハードルでは満足いかなかったのである。

 一応、合格圏にはいた。しかし、安全圏ではなかった。

 

 ここで、親に塾を辞めたいと申し出る。

 塾のカリキュラムは、都道府県外の学校を対策するようにはできていないからだ。

 

 しかし、何故か衝突した。

 思い通りにならない状況に、爆発したのである。

 

「優秀ならどんな環境でもやっていける」

「成績が合格レベルに達しないのを塾や他人のせいにしたいだけだ」

「現実逃避しているだけだ」

 

 はっきり言って(出来たら面と向かって本人達に言ってやりたいが)、親も頭が悪かった。

 子供と喧嘩している親は、そもそもがおかしい。 

 

 言っていることは正しかった。

 ただ、それが正しいことだと判断できるのは、ある程度の年月を経て得た、体験、経験の存在が必須だった。

 だが、当時14歳の俺には、土台不可能なことだったのである。

 

 ストレスの爆弾に着火し、自暴自棄になった。
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・3学年後期「火だるま」

 この時代のことは思い出したくない。

 当時の俺と、その周りに登場したどんな人物がどんなことを言ってどんなことをやっいても、俺を取り巻くストレスの爆弾を取り去り、火を消せなかっただろう。
 

 俺は、火だるまだった。

 水では消えない。

 

 誰もいない場所で吠え、

 無生物を叩き、壊し、

 涙というより、血を流して泣いていた。

 

 頭の悪い両親が、ヒステリックになって怒ったのは、さらに拍車をかけた。

 残念ながら、これでもまた、クライマックスとはならないのである。
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・悲しい春

 受験には合格した。

 ……が、進学先は、結局妥協して受験することとなった、平均的な公立高校だった。

 この時期からの俺は、病名のある精神状態だったかもしれない。 

 

 やった苦労と、負った苦悩……そうして得た結果は、割に合わないモノだった。
 

 桜は咲いたが、俺は散った。
 ここから、極寒地獄の春が始まってしまう。
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〇大学受験編

・高校0年次「沈黙の春休み」

 壊れた。

 行きたくもない学校。

 生きたくもない世の中。
 

 どの道、数十年後には死ぬ。

 塵になって土に帰る。

 急に、考え方がメタになり、生きる希望が無くなった。

 

 理由もなく、虚しさに泣いていた。

 やはり、病名のある精神状態だっただろうと、今ではそう思う。

 

 自殺を考えた。だが、実行はしていない。自殺を考えることで噴出する、生命への執着心で、辛うじて正気を保っていた。

 

 幾度も幾度も、棺桶の中で青白く眠る、自分の姿を想像した。

 もはや憧れていたかもしれない。

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・高校1年次前期

 桜の咲かなかった春。

 

 同級生と慣れ合いたくなく、部活を選択できなかった。

 単身で走れる陸上部か、それとも文化部か……

 

 そんな時、担任の先生の誘いもあり、あまり一般的ではない、知る人ぞ知るような、とある文化部に入部した。

 

 特定されかねないため、何部かは言わない。

 だが、活動するためには、並々ならない羞恥心への耐性を有するモノだった。

 当時は、新たな分野への好奇心が羞恥心に勝り、入部し、活動を続けたが、もう無理だと、約8か月で断念した。

 

 上記部活動に関しては、学業とは関係ないが、学業をする上での環境を構築している。
 勉強とその他活動は、線引きが出来ないのである。

 

 ちなみに、学業において、新入生テストは18位……全体300人と考えれば、かなり上位に位置する。

 だが、勉強をやる人間ではあっても、出来ると勘違いしていた俺は、18という数字にしか着目できなかった。
 

 18位は、中学時代に獲ってきた順位とは、比べ物にならないほど低いモノだったのである。
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・高校1年次後期

 自分の存在意義を見失い、300人中、160位まで落っこちた。

 そして、さらに自己肯定感を損なう、デススパイラルである。

 

 一度、著しく体調を崩した。

 熱、鼻水、咳、腹痛、頭痛……そして声が出ない。

全部じゃん!

 かかりつけのお医者さんにそう言われた。


 それでも、2週間ほどで治ったが、気から出た病を治しても、気までは治らないのである。
 

 そんな時、転機、というほどでもないが、一つイベントがあった。

 東大医科学研究所の見学会である。

 そこにいたのは、病理医。

 臨床医とは異なり、病のメカニズムに着目する、研究専門のPROFESSIONALである。

 

 しかし、影響指数が大きかったのは、一緒に見学に参加した先輩方だったと、今では思う。

 高校1年生での参加は、自分1人。

 高2から1人。 

 高3から2人だった。

 

 高2の先輩と高3の先輩は、その後医学部に進学している。 

 当時、自分も、医学部を強く希望していた。

 医学……

 正確には、医学部進学→医者として開業というライフプランは、受験失敗して削れた自身の存在意義を再構築するのに、うってつけだったと感じていたのである。

 

 残念ながら、そんな志で免許を持った医者に、かかりたくはない。

 結局自己中なのである。

 自己中な人は、自己中なことに気づけない。

 

 高校1年目の進路面談を覚えているが、1か月後の模試で、校内10位以内に入ると宣言した。

 無謀だった。
 

 しかし、当時の俺にはどうしようもなかったと思う。

 自身の異常性に、気づく契機が無いのである。
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・高校2年次前期

 高校2年に進級するが、依然として、頭の中は小学6年の頃と変わっていなかった。

 「残念ながら不合格です

 あの10文字を見た瞬間から、歯車が止まってしまった。

 いや、狂ってしまったの間違いか……
 
 高校生活を営む上で、孤独は恥ずかしいと感じたので、一応友人は作った。

 だが、形式上だけで、嫌悪感を隠しきれていなかった。 
 

俺は本来、こんな奴と、こんな奴等と同じ校章を身に着けることは無かった

 それを、会う人会う人全員に思った。

 無意識に、OBOG先輩後輩同級生先生方……不特定多数を敵に回したのである。
 

 もちろん面と向かってそういうことを言わないが、態度の端々に出ていたのかもしれない。

 

 とうとうそれがくみ取られてしまったのだろう。
  

 いつメンに、仲間外れを食らい、Twitter上で誹謗中傷された。

 

 俺は激怒し、先生や親を巻き込んで、大事にした。 

 相手方には厳重注意が下った。

 

 そして、俺は本格的に孤立する。

 自分のせいでいじめに遭ったのに、それをまた嫌悪し、孤立する自分をまた嫌悪する。

 

 あの時の俺を、救い上げる方法は無かったのか。

 

 休み時間中はトイレに行き、いつもイヤホンを耳に突っ込んで狸寝入りをし、独りで昼食を食べた。

 

 しかし、その夏に、転機と呼べそうなものがあったにはあった。
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・高校2年次後期

 サマーウォーズ……細田守監督作品、2009年公開のアニメ映画である。

 数学オリンピック日本代表になり損ねた主人公が、その数学的知性を使い、世界を救う物語である。 

 主人公と、俺の姿が重なった。

 俺はあらゆる書籍を買い、腐りきった自身の現状を改善しようと試みた。

 書籍代に、5万は使っただろう。

 言わずもがな、ほとんどが焦げ付く結果になった。
 

 一時の感情の高ぶりで問題集を買い集め、そしてほとんど網羅できない。 

 いわゆる、躁状態による「衝動買い」である。

 

 あらゆる先達が言っているが、一冊集中が、受験の基本である。

 二兎を追う者は一兎をも得ず。 

 しかし、当時の俺には、そう達観する余裕はなかった。

この夏に賭けた

 高2の夏にそうスローガンを掲げ、努力したが、結局中途半端に終わり、ただ時間を浪費しただけの、虚しい夏となった。
 

 後期も、何もかもがうまくいかなかった。

 2度目の進路面談では、理系分野で、環境問題解決に貢献するための学科に行く、と形式上答えた。
 

 医学部に行くために理系を選択し、物理を選択したが、数Ⅲすらまともに出来ない。

 選択をするだけでその選択に責任を持つ余裕はなかった。
 

 しかし、なんだかんだ言って、この時期に英検2級は受かっている。

 落ちていれば良かったのだろうか?
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・高校3年次前期

 医学部→環境?に切り替えた。 

 自暴自棄になっていて、どうでも良かったのである。

 時間通りに学校へ行き、時間通りに席に座り、先生の声を聴き流し、時間通りに帰る。

 

 機械だった。

 これ以上書くことが無い。
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・高校3年次後期

 もう、国公立に受かるような場所が無い。

 私立でも、全てEランク。

 いざ、現実を突き付けられて、泣いた。

 少し、錆びれた歯車が動いたのだろうか。 

 

 この時期のことは、思い出したくない。

 受けるまでもない。
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センター試験

 センターは5割5部だった。

 はっきり言って、普通の人間の取るような点数じゃない。

 自己採の時点で分かっていた。

 もう、人生が視野に入っていなかった。

この人生、いらね

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・2次試験 

・私立1

・私立2

・私立3

・国立前期

・国立後期
 
 ……全落ち。

 それ以上言うことが無い。

 受けなくても分かってた。

 もう、人生の第一者ではなかった。

 他人事のように自分の人生を俯瞰し、不幸だけには面食らった。

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・引き続く地獄の春

 センター利用で受かっていた一応有名私大に、入学届を出したが、手続きは全て親がし、俺は何もしていない。

 呼吸だけで精一杯だった。 

 受け入れられない現実だった。

 

 そう言えば、親と言う存在。

 俺は、自身をこんな地獄に突き落とした要因の一つに、親を挙げる。

 もちろん、自分の責任もある。

 だが、受験は一人では出来ない。 

 責任は、俺にかかるだけで、登場人物全員に存在する。

 同様に、甘えるという行為も一人では出来ず、甘やかす誰かがいて、はじめて成立するのである。

 

 ……今となって振り返っても分かる。

 親と名状したくない人物が、俺の人間としての自立と自律を阻んだ側面は大きいだろう。

 

 当時の俺には、分からなかった。

 分かるはずが無かった。

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〇仮面浪人編

・中学受験失敗の精神的負債。

・高校受験失敗の精神的負債。

・大学受験失敗の精神的負債。

 

 その額面は、加速度的に増加する。

 増加どころではない。

 もはや爆発だった。

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 入学手続。
 →新居を決める。
 →家具購入。
 →引っ越し。

 

 全部親が主導権を握った。

 この過保護さが、俺を更に地獄に落とすことになったと、振り返ってそう思う。

 しかし、毒親に毒された当時の俺には、分からなかったのである。 

 ――― ――― ―――

 

 浪人は嫌だった。

 何故なら、一個年下の人間と同列に扱われるのが嫌だったから。

 しかし、いざ大学に行ったら、このまま通い続けるストレスの方が、浪人によるストレスをはるかに上回った。 

 

俺はこんな奴らと母校を共にしたくない

 

 ……結局また、同じ間違いを繰り返した。
 ――― ――― ―――

 

 1年次春学期は、何とか慣れようとしたのだが、毎日毎日毎時毎分毎秒、ひっきりなしに自身精神を突き刺してくる、現状現在現実へのストレスに耐え兼ね、とうとう仮面浪人を選択した。 

 

 仮面浪人するくらいなら、入学する以前に、1年でも2年でもワンクッション置くなり、通信制大学を選択するなりすべきだった。

 

 どの道それらは結果論だが。 
 ――― ――― ―――

 

 1年次秋学期は、履修した授業を全て休み、週6で大学の図書館に赴き、勉学に励んだ。

 無履修届を出すなり、休学するなり、方法はあったというのに、もう、まともな判断が出来なくなっていた。

 

 結局、仮面浪人も失敗した。

 理由は、現役の時と変わらなかった。

 再び全落ち。そして、当然のことながら、1年次秋学期の単位も全て落とした。

 50万ほど、学費を焦げ付かした結果になる。

 

 お尻についた火が、最早全身を包んでいた。

 異常な状況では、自身の異常さに気づけない。 

 異常と通常を量る天秤が、完全に狂っていた。

 ――― ――― ―――

 

〇大学編入学試験編

 針のようなストレスに耐えた、大学1年次春学期。

 仮面浪人に心を燃やし、そして燃え尽きた大学1年次秋学期。

 大学2年次は春秋と、愚直に過ごしてきたが、やはり、針のようなストレスは再び復刻した。

 「これでいい」という考えには至らなかった。

 いや「至れなかった」が正しいだろう。

 

 そうして、大学編入学試験、それも、医学部への編入を試みたのである。

 約半年間勉強を重ね、大学3年次の春学期に、試験を受けた。
 

 ……受かるわけがない。

 そもそも医学部編入試験と言うものは、医療従事者や、医療専門学校に在籍していて、ある程度の医学知識医学知性という基盤を持った人間が、医師免許を取るルートなのである。

 

 全く別の学問分野から、学歴ロンダリングなどと言った浅はかな動機では、到底くぐり抜けられる関門ではなかった。


 そんなことを想像する余裕も無かった俺は、夏の不合格通知に動揺し絶望した。

 

 受かるとでも思っていたのだろうか?

 驕り高ぶりにもほどがある。
 ――― ――— ―――

 

 それから、地獄の秋が始まった。

 いや、地獄は秋になった。

 

 大学の勉強も手につかず、資格試験も全て落選。

 半年の間に、秘書検定2級・ITパスポート・漢検2級……全て落とした。
 

 卒論や就活など手に負えなかった。

 そもそも、入学すら受け入れられない状況なのである。

 3年目だというのに。

 もう、ここまでくると、終わりである。

 もっと早くに、些細なきっかけ、些細な気付きで摘み取れたはずの不幸の種が芽吹き、死に花を咲かせた。

 ――― ――― ―――

 

〇地獄留年編

残念ながら不合格です

 小6の時の火種から、早12年分の精神的負債が、とうとう牙を剥いた。
 
 中学受験失敗
 →高校受験失敗
 →大学受験失敗
 →大学編入学失敗
 →それらに付随する個々のトラブル
 
 多岐にわたるトラブルも、源流は一緒だった。その源流元凶を絶たないことには、どんな行動も、苦しみを延ばすだけの対症療法に他ならないのである。
 
 だが、手遅れだった。

 トラブルの河川は氾濫し、決壊した。

 ――― ――― ―――

 

 眠れず、動けず。

 トイレや食事すら、限界ギリギリにならないと動くことが出来ない。

 恐らく、うつ病適応障害のような状況だったのだろう。

 それらは他者の目線から見れば、甘えにしか見えない。

 

 大学教授や親からの電話やメールに怯え、布団にくるまってブルブル震える日々。

 もう、まともな精神を保つことは無理だった。

 ――― ――― ―――

 

 異常を察した大学教授、親、大学専属の保健師、周りの人間が連携を取り、俺は、大学近辺の心療内科に通院した。

 

「甘えてんだよ!」 

 こんな時に限り、散々甘やかしてきた親が、自身の教育の失敗を隠すかのように厳しくなったことを、一生俺は怨み続けるだろうし、吐き気がする。

 

 大学休学の名分を作るために、心療内科に通院はしたが、うつ病とか、適応障害などといった診断はさせなかった。

 一生拭えぬ汚点となりかねないからである。

 

 とにかく、狂った生活基盤を叩き直すために、一時的に投薬した。

 ――― ――― ―――

 

 半年間だけのはずだった留年が、1年間に伸び、俺は4年+1年で大学を卒業した。

 はっきり言って、+αの1年は、それまでの4年よりも、長く感じられた。

 12年の精神的負債を返すための先駆けとなる1年だからである。

 

 とにかく、社会復帰できてよかったと、今では安堵する。

 下手をすれば、どっかから飛び降りて死んでいたかもしれない。

 

 いや、死んだのだ。

 受験生の江戸は死んだ。

 受験生の江戸を死なせることで、それまでの負債を帳消しにする。

 

 約13年にわたる沈黙の春は、自己破産のような終幕を迎えた。

 

 バッドエンド受験物語(終) 

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〇あとがき

 留年を終え、就活に勤しむ。

 とある会社に就職したが、1年足らずで辞めた。

 業務が辛かったわけではない。

 

 辞めたのは会社と言うより、それまでの悪しき自分だと思う。

 さなぎを脱ぎ去り、同時に、溜まり溜まった老廃物を捨て去った。

 

「1年足らずで退職」と言うのは、世間一般的にはよろしくない経歴である。

 だが、非常に心地よかった。

 

 ようやく、自分の人生を生きられる。

 そう痛感した。 

 

 自分で立ち、自分を律する。

 俺はもう、あの頃には戻らない。

 

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〇更新記録

・2023年10月27日 記載

・2023年11月21日 更新

・2023年11月23日 更新

・2023年12月2日 更新

・2024年2月22日 更新

・2024年7月1日 更新

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【備忘録】2022年9月26日の葛藤

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【備忘録】2022年9月26日の葛藤

 過去への後悔と、未来への不安に押しつぶされ、人生を捨てていた2020年~2022年の3年間を「暗黒地獄の3年」と自称する。

 これは、その時期に書きなぐった文章である。

 

 ↓ ↓ ↓

 ……

 ……

 ……

 ずっとずっと、左前の人生を歩んで来た。

 勉強も苦手で、運動も苦手で、人間関係も煩わしかった。

 

 幼い自分には、努力して現状を打破するという当たり前の事が、完全に抜け落ちていた。

 

 理想を理想とせず、ありのままに生きてしまった。

 怠惰な欲望のままに、ナマケモノのように生きてしまった。

 

 駆けっこが苦手なら、豊富な時間を使って走り込みをする。

 勉強が苦手なら、親に頼んで塾に入れてもらう。

 素敵な人生を歩むために、いくらでも努力ができたはずである。

 

 自分は、裕福な家庭に生まれたので、幾分かの金を投じることも可能だった。

 しかし、どうして努力をするという選択を避けたのか。

 

 豊富な資金があったことから、親ガチャは当たりだったようだが、両親からは学んだことが希薄であった。

 

 親が子供の先輩なら、人生を生きる上で大切なことを教えて欲しかった。

 努力することを教えて欲しかった。

 

 そもそも努力をするという選択を知らなかった。

 ありのままに生きるという能しかなかった。

 

 親のいない子もいるし、接したこともあるが、彼らは何らかの形で、真理を学び取り、活力的に生きている。

 

 自分はずっと、真理を学び取る事が出来なかった。

 

 全ての過ちに気づいた時には、もう手遅れ。

 誰にでも入れる高校に入り、誰にでも入れる大学に入り、誰にでも出来る仕事をやってきてしまった。

 

 傍から見れば、恵まれた人生かもしれない。

 しかし、その本質を知る自分にとっては非常に穢らわしいモノに他ならない。

 

 子供の頃から無能を笑われ蔑まれ、努力に昇華出来なかった自分の心は、荒み切った。

 

 このまま40代、50代と同じ仕事をやっても、普通以下の惨めな人間にしかなれないだろう。

 

 恋愛経験も皆無……そもそも、昔から食べたいだけモノを食べてきた自分は太っちょに肥え過ぎていて、こんなだらしない外貌では、とても結婚なんて出来やしない。

 

 IT、英語、その他専門資格……

 努力の仕方を知らない自分は、頭に入らず、すぐ投げた。

 

 だが、努力の仕方を知ったとて、変わりたいという気持ちはもう皆無だった。

 

 もう手遅れだと感じた。

 より良くしようという意識がなくなった。

 昔のように。

 

 そして、湧き出したのが、駄目な自分への強烈な殺意である。

 こんな人生、要らない。

 こんな人間、必要とされない。

 

 自害を試みたが、未遂に終わる。

 目覚めたのは、病室だった。

 

自殺すれば、過去に戻れるよ

 

 どっから湧き出したのか、そんな説があるが、自分は否定する。

 自殺未遂をして、僅かながら、死の世界を見ることが出来た。

 

 真っ暗だった。

 ただ真っ暗なら夜と変わらない。

 

 しかし、まるで底なしの海を泳いでいるかのような、何が潜んでいるかも分からないような暗い深い沼に足を突っ込むような、とても気持ち悪い感覚だった。

 

 あそこは恐らく地獄だと感じた。

 相手が自分であろうと、人を殺せば、その業を負わねばならないのだろう。

 もう二度と、あの世界には行きたくないと感じた。

 

 しかし、死の淵から戻ったとはいえ、自らへ向けられた嫌悪感は変わりない。

 仕事でストレスを負ったり、ふとした瞬間に過去の嫌な記憶を思い出す度に、命を絶ってしまいたくなる。

 

明晰夢からタイムリープが出来るよ」

 

 これは、自分の唯一の心の拠り所である。

 親も頼れず、友達もいない自分の、唯一の生きる希望である。

 

 いつも過去を思い巡らし、仮想の成功体験を積み、明晰夢を乗っ取るために眠りにつく。

 そして、変わらない明日の朝に、悲哀に暮れたまま、重い足取りで仕事場へ行く。

 傍から見れば、どれだけ惨めなことか。

 

 神様は残酷だ。

 

 もうずっとずっと苦しんで来た。

 もういいじゃないか?

 十分苦しんだじゃないか?

 一度きりでもいいから、やり直させてくれ。

 

 世界には色々な人がいる。

 望まず障害を持って生まれてしまったり、不慮の事故で光や手足を失ってしまったり……

 しかし、不幸に序列はあるだろうか?

 その人が不幸かどうかは他人が決めることではない。

 

 自分は独りよがりで、他人の痛みが分からない人間かもしれない。

 しかし、自分はそのような人々に比べて幸せだから、タイムリープはさせられないとでもいうのだろうか?

 

 タイムリープに対して、一つ理論がある。

 

 自殺=タイムリープではなく、タイムリープは自殺に至るまでの途中にある。

 命を差し出すまでの覚悟が出来た者に、タイムリープは与えられる。

 

 こんな自分なんか、苦しむ間もなく痛めつけて殺してやりたいが、自分は自殺をしない。

 自分は必ず過去へ戻る。

 

 絶対に戻らなければならない。

 必ず戻る。

 今すぐ帰る。

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〇更新記録

・2022年9月26日記録

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・2024年5月12日更新

・2024年6月30日更新

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【趣味】読書

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趣味「読書」

 現在(2023年7月30日)、自分はほぼ読書をしない。

 活字を読むのはネットサーフィンの時くらいである。

 しかし、中学1年秋~中学3年春ごろの期間は、とかく読書にのめり込んでいた。

 およそ10日に1冊読むペースだった。

 振り返ると、娯楽や趣味と言うより、中学受験失敗で空いた心の穴を埋めるために、本の中の世界に現実逃避していたのだと思う。

 

 取り敢えず、読んだ本をまとめる。

 同じ嗜好の人と繋がりたい。

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横溝正史シリーズ

・本陣殺人事件+車井戸はなぜ軋る+黒猫亭事件

・獄門島

・夜歩く

八つ墓村

・死仮面

犬神家の一族

・女王蜂

悪魔が来りて笛を吹く

・幽霊男

・死神の矢

悪魔の手毬唄

・不死蝶

・悪魔の降誕祭

・魔女の暦

スペードの女王

・白と黒

・迷路荘の惨劇

病院坂の首縊りの家

悪霊島

・花園の悪魔+生ける死仮面+首

・毒の矢+黒い翼

・志那扇の女+女の決闘

・扉の影の女+鏡が浦の殺人

・人面瘡

・霧の山荘

・仮面城

・黄金の指紋

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夢野久作シリーズ

ドグラ・マグラ

・少女地獄

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宮沢賢治シリーズ

雨ニモマケズ

・イーハトーボ農学校の春

オツベルと象

貝の火

・カイロ団長

風の又三郎

銀河鉄道の夜

グスコーブドリの伝記

・クねずみ

セロ弾きのゴーシュ

注文の多い料理店

・ツェねずみ

・月夜のでんしんばしら

・どんぐりと山猫

・なめとこ山の熊

・猫の事務所

・やまなし

雪渡り

よだかの星

オツベルと象

銀河鉄道の夜

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東野圭吾シリーズ

・マスカレード・ナイト

・マスカレード・イブ

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デルトラ・クエストシリーズ

・第Ⅰシリーズ

 ・沈黙の森 

 ・嘆きの湖

 ・ネズミの街

 ・うごめく砂

 ・恐怖の山

 ・魔物の洞窟

 ・いましめの谷

 ・帰還

・第Ⅱシリーズ

 ・秘密の海

 ・幻想の島

 ・影の王国

・第Ⅲシリーズ

 ・竜の巣

 ・影の門

 ・死の島

 ・最後の歌姫

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刑事コロンボシリーズ

・二つの顔

・探偵の条件

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〇漫画

ナニワ金融道(全巻)

・新・ナニワ金融道(全巻)

・ザ・ナニワ金融道(全巻)

・東京リベンジャーズ(全31巻)

コブラ(全25巻)

宇宙英雄物語(全8巻)

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〇更新記録

・2023年7月30日 作成

・2024年5月27日 更新

・2024年6月30日 更新

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【備忘録】加害者側に回ってしまった"いじめ"の記録

 

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【備忘録】加害者側に回ってしまった"いじめ"の記録

 

 これは、小学校高学年の頃の話……

 しかし、その年に問題が顕在化したというだけであり、問題の存在はもっと昔からあったはずだった。

 

 自分が唯一、加害者側に回ってしまった”いじめ”の話である。

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 相手方に許可はとってないため、当然、特定するような名称及びその予備軍は記載しない。

その子は貧乏だった

 

 理由、動機はそれだけである。

 諸悪の根源は、親なのかもしれない。

 いや、子のはずが無い。

 正確な根拠は「その子が生まれ落ちた家庭は、貧乏だった」である。
 

 クラスの、その子以外の全員が、いじめ、辱しめる側に回った。

 今も色濃く脳裏に残る当時の惨状を追憶すれば、先生もいじめに加担していたように思える。

 

 ノートや鉛筆などを忘れるその子を、先生含め皆で非難した。

 恐らく、買えなかったのであろう。

 忘れたのではない。

 そもそも調達できなかったのである。

 少し考えればわかることだ。

 ひょんなことから、そのいじめが明るみに出た際、小学5年の担任の先生は、皆の前で涙を流して怒った。

 

 5年生の時の先生は恩師だが、十数年経過した今になって、その涙は本物だったのかと、自分は疑わしく思う。

 いじめの事実は、皆で容認していた。

 いじめの存在が自然過ぎて、全くの罪悪感が無かった。

 

 それを、監督者である先生が、気づかないことがあるだろうか?

 いじめられっ子本人からは、相談は無かったのだろうか?

 公務員が何かをやらかした時、公共機関は、その本人に対し、過失を咎める、求請権を有する。

 

 もっとも、責任をなすりつけたがるのは人間の汚い本性であり、公務員の本性とするのは飛躍である。

 それでも、汚い教員が時々お縄に就くこともある。

 某塾講師がわいせつ罪で捕まったのも、記憶に新しい(2023年9月17日現在)

 

 実は、当時の俺も、別のいじめにあっていた。

 クラス全員が敵ではなかったが、数人……今でも煮えたぎる怒りを隠せないクズがいる。

 いや、クズだったのは、あくまで過去のそいつらで、今は真っ当な人間となり、クズの面影はない。

 だが、俺の怒りは残っている。

 

 俺は、自らに向けられたいじめのストレスをデトックスするために、その子へのいじめをやってしまったのかもしれない。

 いや、やってしまった。

 そうじゃないとみなせない以上、そうなのである。

 

 その子が、それから中学卒業まで俺と絡んでくれたのは、多分、動機の違いを汲み取ってくれたからだろう。

 虐められる俺に、同情してくれていたのだろう。

 

 中学卒業と同時に別れ、10年……

 久しぶりにあったその子は、もう貧乏じゃなかった。

 家貧しくて孝子顕る・・・

 

 事業主か何かになったのか、非常に羽振りが良かった。

 きっと、身を燃やし砕くような努力をしたんだろう。

 

 だが、怒りの炎はまだ煌々と燃えていた。

「あの時の事、忘れてないし、忘れるつもりもない」

 淡々と、無感情で喋っていた。
 

 高校、大学、そしてとある会社において「いじめ」というより「同調圧力に組織された単細胞集団が、俺独りの敵に回る」というトラブルに見舞われた今となっては、そいつの怒りの炎がよく見える。

 

 熱い……痛い……

 人それぞれ、生まれた環境も、育ってきた環境も違う。 

 そうやって形作られた常識は、絶対に偏るし、異端者や少数派も現れて然るべき。

 似たもの同士はくっつき、アイデンティティを強く持つ人間は孤立する。 

 類は友を呼び、対は友を放す……

 

 いじめは無くならない。

 無くなるはずが無い。

 だから、問題を無くすことではなく、起こってしまった問題にどう取り組み改善するかが、一番重要だ。

 

 取り返しがつく時点で、取り返しを付けろ。

 起こってしまったのなら、永遠と十字架を背負え。 

 それが「善は急げ」の核心だ。

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〇更新記録

・2023年9月17日 記載

・2024年3月2日 更新

・2024年5月2日 更新

・2024年6月30日 更新
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【自己分析用】My 年表 & コンテンツリスト

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〇お知らせ・連絡・ご挨拶等々

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2010年以前:

【備忘録】加害者側に回ってしまった"いじめ"の記録

・祖父の遺産

2011年:中1

・中学受験不合格

東日本大震災を経験

・小卒

・中学卓球部入部

【備忘録】人生の職

・英検・数検・漢検トリプル合格(4級)

・革命の冬休み

2012年:中2

【備忘録】同級生が亡くなった

・英検3級合格

2013年:中3

漢検・数検3級合格

・悪友との饗宴

・817点

2014年:高1

【備忘録】10年以上尾を引いた失恋の記憶

・中卒

・高校卓球部入部

2015年:高2

・初めて被害者となったいじめ

2016年:高3

・英検2級合格

・英検準1級不合格

2017年:大1

・高卒

・大学受験失敗

【備忘録】執念の仮面浪人

2018年:大2

ロックマンにはまる

 →クラシックスコレクション(1~6):完遂

 →ロックマンアンリミテッド:完遂

トライアスロン部へ入部

2019年:大3

・大学編入学失敗

・ITパスポート不合格

秘書検定2級不合格

漢字検定2級不合格

2020年:大4

・大学留年確定

・現実逃避の小説書き

・ブログ「RETRO少年の懐古録」開設→現在閉鎖

Youtube「RETRO少年の懐古録」開設:「RETRO少年の懐古録 - YouTube

2021年:大5

・自殺未遂

・入院(4月~6月)

・大卒(1年留年)

2022年:社1

【備忘録】My 論文の作法

【備忘録】2022年9月26日の葛藤

2023年:社2

・ブログ「RETRO少年の懐古録」→「RETRO少年の懐古録|note」に転載

2024年:社3

・英検1級不合格

・ITパスポート不合格(2)

【備忘録】フクロウに襲われた

・当ブログ「平成の江戸」開設

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☆趣味・特技

〇スポーツ

・【スポーツ】水泳

・【スポーツ】卓球

・【スポーツ】ランニング

・【スポーツ】サイクリング

・【スポーツ】トライアスロン

〇ゲーム:【趣味】ゲーム戦績&記録まとめ

・【ゲーム】ポケモン

 ・【ポケモンGBA】全国図鑑の作成計画(※平成の江戸編集)

・【ゲーム】ロックマン

・【ゲーム】Syupro-DXから配信のゲーム(iOS版)

・【ゲーム】立体四目

SNS発信

【SNS】はてブロ「平成の江戸」(当ブログ)

【SNS】Youtube「RETRO少年の懐古録」(YouTubeにジャンプ)

【SNS】Note「RETRO少年の懐古録」(Noteにジャンプ)

 ・【Note】マガジン「怖い話名作選」

 ・【Note】マガジン

 ・【Note】マガジン

 ・【Note】マガジン

【SNS】X「平成の江戸」 

【SNS】Youtube「平成の江戸」

〇その他

【趣味】資格狩り

【趣味】読書

・【趣味】2024年計画

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〇特別備忘録

【特別備忘録】バットエンド受験物語(2010年8月~2022年10月, 12年2か月)

【特別備忘録】うつ病と戦い、そして敗けた時の記録(2020年1月~2022年3月)

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〇更新記録

・2024年6月28日 作成

・2024年7月1日 更新

・2024年8月3日 更新

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