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【備忘録】加害者側に回ってしまった"いじめ"の記録
これは、小学校高学年の頃の話……
しかし、その年に問題が顕在化したというだけであり、問題の存在はもっと昔からあったはずだった。
自分が唯一、加害者側に回ってしまった”いじめ”の話である。
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相手方に許可はとってないため、当然、特定するような名称及びその予備軍は記載しない。
「その子は貧乏だった」
理由、動機はそれだけである。
諸悪の根源は、親なのかもしれない。
いや、子のはずが無い。
正確な根拠は「その子が生まれ落ちた家庭は、貧乏だった」である。
クラスの、その子以外の全員が、いじめ、辱しめる側に回った。
今も色濃く脳裏に残る当時の惨状を追憶すれば、先生もいじめに加担していたように思える。
ノートや鉛筆などを忘れるその子を、先生含め皆で非難した。
恐らく、買えなかったのであろう。
忘れたのではない。
そもそも調達できなかったのである。
少し考えればわかることだ。
ひょんなことから、そのいじめが明るみに出た際、小学5年の担任の先生は、皆の前で涙を流して怒った。
5年生の時の先生は恩師だが、十数年経過した今になって、その涙は本物だったのかと、自分は疑わしく思う。
いじめの事実は、皆で容認していた。
いじめの存在が自然過ぎて、全くの罪悪感が無かった。
それを、監督者である先生が、気づかないことがあるだろうか?
いじめられっ子本人からは、相談は無かったのだろうか?
公務員が何かをやらかした時、公共機関は、その本人に対し、過失を咎める、求請権を有する。
もっとも、責任をなすりつけたがるのは人間の汚い本性であり、公務員の本性とするのは飛躍である。
それでも、汚い教員が時々お縄に就くこともある。
某塾講師がわいせつ罪で捕まったのも、記憶に新しい(2023年9月17日現在)
実は、当時の俺も、別のいじめにあっていた。
クラス全員が敵ではなかったが、数人……今でも煮えたぎる怒りを隠せないクズがいる。
いや、クズだったのは、あくまで過去のそいつらで、今は真っ当な人間となり、クズの面影はない。
だが、俺の怒りは残っている。
俺は、自らに向けられたいじめのストレスをデトックスするために、その子へのいじめをやってしまったのかもしれない。
いや、やってしまった。
そうじゃないとみなせない以上、そうなのである。
その子が、それから中学卒業まで俺と絡んでくれたのは、多分、動機の違いを汲み取ってくれたからだろう。
虐められる俺に、同情してくれていたのだろう。
中学卒業と同時に別れ、10年……
久しぶりにあったその子は、もう貧乏じゃなかった。
家貧しくて孝子顕る・・・
事業主か何かになったのか、非常に羽振りが良かった。
きっと、身を燃やし砕くような努力をしたんだろう。
だが、怒りの炎はまだ煌々と燃えていた。
「あの時の事、忘れてないし、忘れるつもりもない」
淡々と、無感情で喋っていた。
高校、大学、そしてとある会社において「いじめ」というより「同調圧力に組織された単細胞集団が、俺独りの敵に回る」というトラブルに見舞われた今となっては、そいつの怒りの炎がよく見える。
熱い……痛い……
人それぞれ、生まれた環境も、育ってきた環境も違う。
そうやって形作られた常識は、絶対に偏るし、異端者や少数派も現れて然るべき。
似たもの同士はくっつき、アイデンティティを強く持つ人間は孤立する。
類は友を呼び、対は友を放す……
いじめは無くならない。
無くなるはずが無い。
だから、問題を無くすことではなく、起こってしまった問題にどう取り組み改善するかが、一番重要だ。
取り返しがつく時点で、取り返しを付けろ。
起こってしまったのなら、永遠と十字架を背負え。
それが「善は急げ」の核心だ。
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〇更新記録
・2023年9月17日 記載
・2024年3月2日 更新
・2024年5月2日 更新
・2024年6月30日 更新
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