RETRO少年の懐古録

地下ブロガー

【特別備忘録】バットエンド受験物語

 ――― ――― ―――

 

〇プロローグ

 この世に生を持ってから、足掛け12年……

 それまでずっと、甘やかされ続けてきた。

 満11になって、初めてそれに気づいた。

 

 あの年は、暑い暑い夏だった。

 それからさらに14年経ち、25になった今でも、その熱気をまざまざと思い出せるような、生々しい夏のことだった。

 
 祖父さんが死んだ。


 祖父さんは、しばらく前から身体を壊し、入院していた。

 しかし、死ぬなんてことは、考えていなかった。

 訃報を聞いてなお、実感が無かった。

 目の前に横たわり、そして棺桶の中に運ばれる、生気のない祖父さんの亡骸は、亡骸に過ぎず、別の物体のように思えた。

 

 実感が沸かないというのが主たる理由ではあるが、悲しみは無く、涙も出なかった。

 しかし、それにはもっと別の要因がある。

 

 祖父さん……

 俺にとって約10年、当たり前のように一つ屋根の下に位置していた存在が、煙のように消えていなくなる。

 祖父さんは、”消失”と引き換えに、とんでもない遺産を俺に相続させたのである。

 

強烈な問題意識

 

 祖父さんを失ったことで、当時の俺は当時の現状に対し、物凄い反感を覚えた。

 甘やかされてきた過去……

 祖父さんが旅に出た現在……

 

 いざ顧みて、今までの当たり前が、当たり前ではなかったこと、さらに、その当たり前は未来にあり得ないことを痛感したのである。


 予想にも出来ない、恐ろしい未来……

 

 これが、忌まわしき「受験地獄」への誘いだった。

 ――― ――― ―――

 

〇中学受験編

 祖父さんが死んだ時、俺は小学6年生だった。

 その夏……

 何とか現状を変えないと……と思った当時の俺は、がむしゃらに自主学習をやった。

 計画性の欠片も無い。 

 ただただ、持っていた教科書や問題集を片っ端から見直し始めたのである。
 

 

 あろうことか「中学受験」という選択肢が克明に降ってきたのは、その時だった。

 受験本番まで、半年も無い。 

 それまで、やらされる以外の勉強の手段を持っていなかった俺には、あまりにも厳しい状況だった。

 だが、世間知らずの当時の俺にとって、そんなことは関係なかったのである。

 井戸の中の蛙は、自身を大海にいる者と勘違いするものである。
 

 何かに憑りつかれるように勉強していた。

 中学受験を視野に入れない生徒がやっているような、基本的な学習はもちろん、過去問演習に加え、能力向上のために百ます計算などに勤しんでいた。 

 受験ルーキーの江戸を駆動していたその何かは、恐らく祖父さん死去と引き換えに得た「問題意識」であろう。
 

 そうして6か月……

 

 翌年1月某日の、受験日……

 国語……

 算数……

 理科……

 社会……

 とにかく、残された期間で、出来る限りのことをすべてやり、人事を尽くした。しかし……
 

残念ながら不合格です

 

 ネットのHPに映し出されたその10文字は、当時の自分にとって何よりも残酷だった。

 心臓に楔を打ち込まれたような衝撃は、長らく続いた。 

 はっきり言って、祖父さんが死んだ時以上にショックだった。

 

 何度、受験番号を打ち込んでみても、同じ10文字しか出てこない。

 当たり前の事なのだが。

 そこから、小学校を卒業するまでの2ヶ月は、不毛だった。 

 細かい事情をあまり記憶していないのだが、当時の自分は、同級生をあまりよく思っていなかった。

 6年間連れ添ってきた仲であるのにも関わらず。

 

 だから、彼らと同じ公立中学……受験しなくても行ける学校に行くことに、物凄い抵抗を覚えた。 

 

「彼らを始めとした他者を見下し、蹴落とす以外に、自分を立てられない」

 

 この忌まわしき性格が、長らく自分を蝕むことになる。

 それは、十数年経過した今になって、ようやく分かったこと。

 問題の真ん中にいると、問題が見えないのである。

 火中に巻かれて、火元が見えないのと同じである。

 

 ちなみに、家から通える範囲に、他の学校はなかった。

 あったとしても「公立中学に行きたくないから」なんて曖昧な理由で、中学を受験している時点で、その受験は失敗している。

 落ちたくない理由はあっても、受かりたい理由が無いからである。

 

 しかし、自然と心は高校受験に向いた。

 

県内トップの高校に受かり、この失敗を清算する

 

 下向きになったモノの、後ろ向きにならずに、前の目標を創れたのは良かった。

 だが、この計画も、既におかしいのである。

 なぜなら、受験失敗を人生失敗と飛躍している。

 

 どうして、この不合格を失敗と言いきれたのだろうか?

 ――― ――― ―――

 

〇高校受験編

・1学年前期

 同級生の皆がやっていない時期に勉強をやっていたのであるから、学力水準は当然高い。だが、あくまでそれは、1公立中学校の1学年内というだけのことである。

 やってない人より、やった人の方が当然できる。

 だから俺は、”やる”子ではあったが、”出来る”子ではなかった。

 

 新入生テストは、1位だった。

 すれ違う同級生の誰よりも点数が高い。

 

 当時はやはり、奢り高ぶった。 

 俗に小学校と言う時代は、学業において、明確に序列をつけるようなことが無かったので、1位を獲るという経験が非常に新鮮だったのである。 

 

 だから、その2か月後、中間テストでは14位に降格。 

 これは、奢り高ぶったのが原因と考え、気持ちを改めた。

 

 第1学年第1学期末テスト……これが問題だった。


 英・国・数・理・社に加えて、技術家庭・音楽・美術、保健体育を加えた9教科。

 学年順位4位だった。

 14位からの4位とくれば、傍から見れば一見凄くも見える。

 だが、俺は、期末テストまでの3週間、出来る限りの努力をすべてやったのである。

 断然トップの1位を獲得していると思っていた。

 

 しかし、テスト個表を開けてみれば4位……途方にくれた。

 努力の仕方や、勉強の仕方が、良くなかったのだろう。

 

 どれだけ復習しても、このテストの点数は変わらない。

 そうして夏休みに入る。

  

 ここで、目標を少々切り替えた。

 数学検定4級、漢字検定4級、英検4級のトリプル受験を目指したのである。

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・1学年後期

 数学検定4級、漢字検定4級、英検4級のトリプル受験……

 この目標について、良くなかったのは、がむしゃらであったこと。

 手当たり次第に問題を1周しただけで、試験に臨んだのである。

 さらに良くなかったのは、受かってしまったことだった。

 

 英検4級、数検4級、漢検4級に合格したが、特に喜びは無かった。

 ここで、落ちていれば、俺は根幹にある姿勢と過ちに気づいたかもしれない。

 そして、幸の形をした不幸は、どんどん重なっていく。

 

 実力テスト、定期考査は、2回連続で5位……

 今振り返ると、これが3連4級合格の喜びを相殺したのだろう。

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・1学年終末

 俺はまた、狂ったように猛烈に勉強を重ねる。

 がむしゃらだった。

 勉強をして何かを成し遂げるのではなく、勉強をすることが目的になっていた。

 

 狂っている。いや、狂っていた。

 

 冬季の、学力診断テストは1位

「素晴らしいです」

 先生の言葉を覚えている。

 

 だが、やはり満足できなかった。

 

 その後、インフルエンザに罹患。

 そのせいではないと思うが、学年末考査では、2位だった。

 しかし、この結果を喜んでいた気がする。

 

 1位になることより、4位→5位→2位となったことに、達成感を覚えたのである。
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・2学年前期

 この辺りから、嫉妬心が深くなった。

 勉強は出来ると自負していた。自負というより、自画自賛だ。 

 本当はやるだけで出来てはいないのだ。

 

 ただし、社会人が良く言うように、テストの点数で人間の価値は決まらない。

 この辺から、人間力を視野に入れるようになった。

 日記をよく取るようにした。

 委員長や、班長などの、リーダー職を務めるようにした。

 

 ただし、ここでは受験対策の勉学に焦点を置く。

 
 2学年前期の主たるイベントは、漢検3級と、英検3級である。 

 先に言うが、どちらも一発で合格した。

 漢検に対しては、ほぼノー勉で合格した。 

 ノー勉とはいうが、正確には出来なかったというのが正しい。

 計画性に欠点があったのである。

 いつもやっていた、新聞や書籍の読解が、ノー勉の非を埋めてくれたのだろう。

 

 しかし、どちらも受かってしまったことで、その計画性の悪さは、明るみに出なかった。

 

 英検3級は、計画的だった。

 漢検が疎かになったのはこれが理由だろう。もちろん理由にはしなかったが。

 一度解いて、分からなさに悶絶。

 それが「語彙」の欠如によるものと察した俺は、3年の分野にまで視野を延ばし、単語数を増やした。 

 そうして一次試験を突破した。

 二次試験は、先生方他二名による手厚い修行により、合格点の二倍に近い点数を取ることが出来た。


 ※現在、社会人として英語を使うことが出来るのは、この恩師2名のお陰である。

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・2学年後期

 学習相談、部活1、部活2、塾、宿題……

 忙しい夏を経たが、夏にためた勉強貯金は、実力となった。

 中間テスト、実力テストにおいて、2回連続で学年1位を獲得。

 

 ……その後、何故か2位どまりで、1位に上がれなくなった……
 
 そして、ストレスが溜まる。

 そのストレスは、追いつけない自分に端を発しているのであるから、並の方法で取り除くことが出来ず、更に根絶も出来ない。

 

 当時は、そんな余裕のない精神状態だった。
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・3学年前期

 中学受験失敗に端を発する、強烈なストレス。

 今振り返っても、当時の自分にどうこうすることは無理だっただろうと溜め息が出る。
  

 それを、根絶する方法として、当時の自分が提示したのは、

「日本最高クラスの学校に進学する」

 

 ここは実名を貼る。
・東京「開成高校
・東京「筑波大学付属高校
・神奈川「慶応義塾大学付属高校」
・埼玉「慶応義塾大学付属志木高校」
・千葉「市川高校」
・千葉「渋谷教育学園幕張高校」

 

 いずれも、公立中学1位などという生半可な能力しか持っていない俺には、到底1年の努力でたどり着ける境地ではなかった。

 そもそも、自身についたお尻の火すら消せない俺は、仮に受かったとしても、3年間、その学籍を維持することは出来なかっただろう。

 

 それでも、最高水準のレベルの問題集と、近くの本屋で手に入った過去問を武器とした。
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・3学年「最悪の夏」

 自分の生まれ育った都道府県内にも、東大に多く進学者を輩出するような進学校があった。

 だが、当時の俺は、その程度のハードルでは満足いかなかったのである。

 一応、合格圏にはいた。しかし、安全圏ではなかった。

 

 ここで、親に塾を辞めたいと申し出る。

 塾のカリキュラムは、都道府県外の学校を対策するようにはできていないからだ。

 

 しかし、何故か衝突した。

 思い通りにならない状況に、爆発したのである。

 

「優秀ならどんな環境でもやっていける」

「成績が合格レベルに達しないのを塾や他人のせいにしたいだけだ」

「現実逃避しているだけだ」

 

 はっきり言って(出来たら面と向かって本人達に言ってやりたいが)、親も頭が悪かった。

 子供と喧嘩している親は、そもそもがおかしい。 

 

 言っていることは正しかった。

 ただ、それが正しいことだと判断できるのは、ある程度の年月を経て得た、体験、経験の存在が必須だった。

 だが、当時14歳の俺には、土台不可能なことだったのである。

 

 ストレスの爆弾に着火し、自暴自棄になった。
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・3学年後期「火だるま」

 この時代のことは思い出したくない。

 当時の俺と、その周りに登場したどんな人物がどんなことを言ってどんなことをやっいても、俺を取り巻くストレスの爆弾を取り去り、火を消せなかっただろう。
 

 俺は、火だるまだった。

 水では消えない。

 

 誰もいない場所で吠え、

 無生物を叩き、壊し、

 涙というより、血を流して泣いていた。

 

 頭の悪い両親が、ヒステリックになって怒ったのは、さらに拍車をかけた。

 残念ながら、これでもまた、クライマックスとはならないのである。
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・悲しい春

 受験には合格した。

 ……が、進学先は、結局妥協して受験することとなった、平均的な公立高校だった。

 この時期からの俺は、病名のある精神状態だったかもしれない。 

 

 やった苦労と、負った苦悩……そうして得た結果は、割に合わないモノだった。
 

 桜は咲いたが、俺は散った。
 ここから、極寒地獄の春が始まってしまう。
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〇大学受験編

・高校0年次「沈黙の春休み」

 壊れた。

 行きたくもない学校。

 生きたくもない世の中。
 

 どの道、数十年後には死ぬ。

 塵になって土に帰る。

 急に、考え方がメタになり、生きる希望が無くなった。

 

 理由もなく、虚しさに泣いていた。

 やはり、病名のある精神状態だっただろうと、今ではそう思う。

 

 自殺を考えた。だが、実行はしていない。自殺を考えることで噴出する、生命への執着心で、辛うじて正気を保っていた。

 

 幾度も幾度も、棺桶の中で青白く眠る、自分の姿を想像した。

 もはや憧れていたかもしれない。

 ――― ――― ―――

・高校1年次前期

 桜の咲かなかった春。

 

 同級生と慣れ合いたくなく、部活を選択できなかった。

 単身で走れる陸上部か、それとも文化部か……

 

 そんな時、担任の先生の誘いもあり、あまり一般的ではない、知る人ぞ知るような、とある文化部に入部した。

 

 特定されかねないため、何部かは言わない。

 だが、活動するためには、並々ならない羞恥心への耐性を有するモノだった。

 当時は、新たな分野への好奇心が羞恥心に勝り、入部し、活動を続けたが、もう無理だと、約8か月で断念した。

 

 上記部活動に関しては、学業とは関係ないが、学業をする上での環境を構築している。
 勉強とその他活動は、線引きが出来ないのである。

 

 ちなみに、学業において、新入生テストは18位……全体300人と考えれば、かなり上位に位置する。

 だが、勉強をやる人間ではあっても、出来ると勘違いしていた俺は、18という数字にしか着目できなかった。
 

 18位は、中学時代に獲ってきた順位とは、比べ物にならないほど低いモノだったのである。
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・高校1年次後期

 自分の存在意義を見失い、300人中、160位まで落っこちた。

 そして、さらに自己肯定感を損なう、デススパイラルである。

 

 一度、著しく体調を崩した。

 熱、鼻水、咳、腹痛、頭痛……そして声が出ない。

全部じゃん!

 かかりつけのお医者さんにそう言われた。


 それでも、2週間ほどで治ったが、気から出た病を治しても、気までは治らないのである。
 

 そんな時、転機、というほどでもないが、一つイベントがあった。

 東大医科学研究所の見学会である。

 そこにいたのは、病理医。

 臨床医とは異なり、病のメカニズムに着目する、研究専門のPROFESSIONALである。

 

 しかし、影響指数が大きかったのは、一緒に見学に参加した先輩方だったと、今では思う。

 高校1年生での参加は、自分1人。

 高2から1人。 

 高3から2人だった。

 

 高2の先輩と高3の先輩は、その後医学部に進学している。 

 当時、自分も、医学部を強く希望していた。

 医学……

 正確には、医学部進学→医者として開業というライフプランは、受験失敗して削れた自身の存在意義を再構築するのに、うってつけだったと感じていたのである。

 

 残念ながら、そんな志で免許を持った医者に、かかりたくはない。

 結局自己中なのである。

 自己中な人は、自己中なことに気づけない。

 

 高校1年目の進路面談を覚えているが、1か月後の模試で、校内10位以内に入ると宣言した。

 無謀だった。
 

 しかし、当時の俺にはどうしようもなかったと思う。

 自身の異常性に、気づく契機が無いのである。
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・高校2年次前期

 高校2年に進級するが、依然として、頭の中は小学6年の頃と変わっていなかった。

 「残念ながら不合格です

 あの10文字を見た瞬間から、歯車が止まってしまった。

 いや、狂ってしまったの間違いか……
 
 高校生活を営む上で、孤独は恥ずかしいと感じたので、一応友人は作った。

 だが、形式上だけで、嫌悪感を隠しきれていなかった。 
 

俺は本来、こんな奴と、こんな奴等と同じ校章を身に着けることは無かった

 それを、会う人会う人全員に思った。

 無意識に、OBOG先輩後輩同級生先生方……不特定多数を敵に回したのである。
 

 もちろん面と向かってそういうことを言わないが、態度の端々に出ていたのかもしれない。

 

 とうとうそれがくみ取られてしまったのだろう。
  

 いつメンに、仲間外れを食らい、Twitter上で誹謗中傷された。

 

 俺は激怒し、先生や親を巻き込んで、大事にした。 

 相手方には厳重注意が下った。

 

 そして、俺は本格的に孤立する。

 自分のせいでいじめに遭ったのに、それをまた嫌悪し、孤立する自分をまた嫌悪する。

 

 あの時の俺を、救い上げる方法は無かったのか。

 

 休み時間中はトイレに行き、いつもイヤホンを耳に突っ込んで狸寝入りをし、独りで昼食を食べた。

 

 しかし、その夏に、転機と呼べそうなものがあったにはあった。
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・高校2年次後期

 サマーウォーズ……細田守監督作品、2009年公開のアニメ映画である。

 数学オリンピック日本代表になり損ねた主人公が、その数学的知性を使い、世界を救う物語である。 

 主人公と、俺の姿が重なった。

 俺はあらゆる書籍を買い、腐りきった自身の現状を改善しようと試みた。

 書籍代に、5万は使っただろう。

 言わずもがな、ほとんどが焦げ付く結果になった。
 

 一時の感情の高ぶりで問題集を買い集め、そしてほとんど網羅できない。 

 いわゆる、躁状態による「衝動買い」である。

 

 あらゆる先達が言っているが、一冊集中が、受験の基本である。

 二兎を追う者は一兎をも得ず。 

 しかし、当時の俺には、そう達観する余裕はなかった。

この夏に賭けた

 高2の夏にそうスローガンを掲げ、努力したが、結局中途半端に終わり、ただ時間を浪費しただけの、虚しい夏となった。
 

 後期も、何もかもがうまくいかなかった。

 2度目の進路面談では、理系分野で、環境問題解決に貢献するための学科に行く、と形式上答えた。
 

 医学部に行くために理系を選択し、物理を選択したが、数Ⅲすらまともに出来ない。

 選択をするだけでその選択に責任を持つ余裕はなかった。
 

 しかし、なんだかんだ言って、この時期に英検2級は受かっている。

 落ちていれば良かったのだろうか?
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・高校3年次前期

 医学部→環境?に切り替えた。 

 自暴自棄になっていて、どうでも良かったのである。

 時間通りに学校へ行き、時間通りに席に座り、先生の声を聴き流し、時間通りに帰る。

 

 機械だった。

 これ以上書くことが無い。
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・高校3年次後期

 もう、国公立に受かるような場所が無い。

 私立でも、全てEランク。

 いざ、現実を突き付けられて、泣いた。

 少し、錆びれた歯車が動いたのだろうか。 

 

 この時期のことは、思い出したくない。

 受けるまでもない。
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センター試験

 センターは5割5部だった。

 はっきり言って、普通の人間の取るような点数じゃない。

 自己採の時点で分かっていた。

 もう、人生が視野に入っていなかった。

この人生、いらね

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・2次試験 

・私立1

・私立2

・私立3

・国立前期

・国立後期
 
 ……全落ち。

 それ以上言うことが無い。

 受けなくても分かってた。

 もう、人生の第一者ではなかった。

 他人事のように自分の人生を俯瞰し、不幸だけには面食らった。

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・引き続く地獄の春

 センター利用で受かっていた一応有名私大に、入学届を出したが、手続きは全て親がし、俺は何もしていない。

 呼吸だけで精一杯だった。 

 受け入れられない現実だった。

 

 そう言えば、親と言う存在。

 俺は、自身をこんな地獄に突き落とした要因の一つに、親を挙げる。

 もちろん、自分の責任もある。

 だが、受験は一人では出来ない。 

 責任は、俺にかかるだけで、登場人物全員に存在する。

 同様に、甘えるという行為も一人では出来ず、甘やかす誰かがいて、はじめて成立するのである。

 

 ……今となって振り返っても分かる。

 親と名状したくない人物が、俺の人間としての自立と自律を阻んだ側面は大きいだろう。

 

 当時の俺には、分からなかった。

 分かるはずが無かった。

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〇仮面浪人編

・中学受験失敗の精神的負債。

・高校受験失敗の精神的負債。

・大学受験失敗の精神的負債。

 

 その額面は、加速度的に増加する。

 増加どころではない。

 もはや爆発だった。

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 入学手続。
 →新居を決める。
 →家具購入。
 →引っ越し。

 

 全部親が主導権を握った。

 この過保護さが、俺を更に地獄に落とすことになったと、振り返ってそう思う。

 しかし、毒親に毒された当時の俺には、分からなかったのである。 

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 浪人は嫌だった。

 何故なら、一個年下の人間と同列に扱われるのが嫌だったから。

 しかし、いざ大学に行ったら、このまま通い続けるストレスの方が、浪人によるストレスをはるかに上回った。 

 

俺はこんな奴らと母校を共にしたくない

 

 ……結局また、同じ間違いを繰り返した。
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 1年次春学期は、何とか慣れようとしたのだが、毎日毎日毎時毎分毎秒、ひっきりなしに自身精神を突き刺してくる、現状現在現実へのストレスに耐え兼ね、とうとう仮面浪人を選択した。 

 

 仮面浪人するくらいなら、入学する以前に、1年でも2年でもワンクッション置くなり、通信制大学を選択するなりすべきだった。

 

 どの道それらは結果論だが。 
 ――― ――― ―――

 

 1年次秋学期は、履修した授業を全て休み、週6で大学の図書館に赴き、勉学に励んだ。

 無履修届を出すなり、休学するなり、方法はあったというのに、もう、まともな判断が出来なくなっていた。

 

 結局、仮面浪人も失敗した。

 理由は、現役の時と変わらなかった。

 再び全落ち。そして、当然のことながら、1年次秋学期の単位も全て落とした。

 50万ほど、学費を焦げ付かした結果になる。

 

 お尻についた火が、最早全身を包んでいた。

 異常な状況では、自身の異常さに気づけない。 

 異常と通常を量る天秤が、完全に狂っていた。

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〇大学編入学試験編

 針のようなストレスに耐えた、大学1年次春学期。

 仮面浪人に心を燃やし、そして燃え尽きた大学1年次秋学期。

 大学2年次は春秋と、愚直に過ごしてきたが、やはり、針のようなストレスは再び復刻した。

 「これでいい」という考えには至らなかった。

 いや「至れなかった」が正しいだろう。

 

 そうして、大学編入学試験、それも、医学部への編入を試みたのである。

 約半年間勉強を重ね、大学3年次の春学期に、試験を受けた。
 

 ……受かるわけがない。

 そもそも医学部編入試験と言うものは、医療従事者や、医療専門学校に在籍していて、ある程度の医学知識医学知性という基盤を持った人間が、医師免許を取るルートなのである。

 

 全く別の学問分野から、学歴ロンダリングなどと言った浅はかな動機では、到底くぐり抜けられる関門ではなかった。


 そんなことを想像する余裕も無かった俺は、夏の不合格通知に動揺し絶望した。

 

 受かるとでも思っていたのだろうか?

 驕り高ぶりにもほどがある。
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 それから、地獄の秋が始まった。

 いや、地獄は秋になった。

 

 大学の勉強も手につかず、資格試験も全て落選。

 半年の間に、秘書検定2級・ITパスポート・漢検2級……全て落とした。
 

 卒論や就活など手に負えなかった。

 そもそも、入学すら受け入れられない状況なのである。

 3年目だというのに。

 もう、ここまでくると、終わりである。

 もっと早くに、些細なきっかけ、些細な気付きで摘み取れたはずの不幸の種が芽吹き、死に花を咲かせた。

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〇地獄留年編

残念ながら不合格です

 小6の時の火種から、早12年分の精神的負債が、とうとう牙を剥いた。
 
 中学受験失敗
 →高校受験失敗
 →大学受験失敗
 →大学編入学失敗
 →それらに付随する個々のトラブル
 
 多岐にわたるトラブルも、源流は一緒だった。その源流元凶を絶たないことには、どんな行動も、苦しみを延ばすだけの対症療法に他ならないのである。
 
 だが、手遅れだった。

 トラブルの河川は氾濫し、決壊した。

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 眠れず、動けず。

 トイレや食事すら、限界ギリギリにならないと動くことが出来ない。

 恐らく、うつ病適応障害のような状況だったのだろう。

 それらは他者の目線から見れば、甘えにしか見えない。

 

 大学教授や親からの電話やメールに怯え、布団にくるまってブルブル震える日々。

 もう、まともな精神を保つことは無理だった。

 ――― ――― ―――

 

 異常を察した大学教授、親、大学専属の保健師、周りの人間が連携を取り、俺は、大学近辺の心療内科に通院した。

 

「甘えてんだよ!」 

 こんな時に限り、散々甘やかしてきた親が、自身の教育の失敗を隠すかのように厳しくなったことを、一生俺は怨み続けるだろうし、吐き気がする。

 

 大学休学の名分を作るために、心療内科に通院はしたが、うつ病とか、適応障害などといった診断はさせなかった。

 一生拭えぬ汚点となりかねないからである。

 

 とにかく、狂った生活基盤を叩き直すために、一時的に投薬した。

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 半年間だけのはずだった留年が、1年間に伸び、俺は4年+1年で大学を卒業した。

 はっきり言って、+αの1年は、それまでの4年よりも、長く感じられた。

 12年の精神的負債を返すための先駆けとなる1年だからである。

 

 とにかく、社会復帰できてよかったと、今では安堵する。

 下手をすれば、どっかから飛び降りて死んでいたかもしれない。

 

 いや、死んだのだ。

 受験生の江戸は死んだ。

 受験生の江戸を死なせることで、それまでの負債を帳消しにする。

 

 約13年にわたる沈黙の春は、自己破産のような終幕を迎えた。

 

 バッドエンド受験物語(終) 

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〇あとがき

 留年を終え、就活に勤しむ。

 とある会社に就職したが、1年足らずで辞めた。

 業務が辛かったわけではない。

 

 辞めたのは会社と言うより、それまでの悪しき自分だと思う。

 さなぎを脱ぎ去り、同時に、溜まり溜まった老廃物を捨て去った。

 

「1年足らずで退職」と言うのは、世間一般的にはよろしくない経歴である。

 だが、非常に心地よかった。

 

 ようやく、自分の人生を生きられる。

 そう痛感した。 

 

 自分で立ち、自分を律する。

 俺はもう、あの頃には戻らない。

 

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〇更新記録

・2023年10月27日 記載

・2023年11月21日 更新

・2023年11月23日 更新

・2023年12月2日 更新

・2024年2月22日 更新

・2024年7月1日 更新

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