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あれは、2020年1月……とは言ったものの、本当の元凶は、もっと昔から存在していた。
小さい頃、まだ子供と呼ばれる時期だった頃から、爆弾が生じ、それが膨らみ続けていた。
そして、それは顕在化したのが、2020年である。
当時のトラブルは、あくまで、爆弾の導火線に火をつけたと、それだけの事だった。
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俺は逃げた。
いや、逃げることは出来なかった。
積年の間に身体と精神とに張り付いた爆弾を引きはがせば、結局爆発する。引きはがさなくても、結局爆発する。
環境からは、物理的に逃げたのだが、それがまずかった。
「物理的に逃げる」という行動が、起爆を呼び込んだ。
結局、爆弾の最適な処理方法は、爆発させるしかない。
何故、爆弾が小さい内に、処理することが出来なかったのか。
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逃げ続け、およそ1年・・・駄目だった。
何を聞こうが、見ようが、嗅ごうが・・・どんな情報を入力しても、当時の俺の脳は「死ね」と出力することしか出来なかった。
飯も食えず、眠れず……
排泄さえも、ほぼ限界にならないと動けなかった。
加えて「気晴らし」すら、気を曇らせ、乱す結果になる・・・史上最悪の精神状態である。
当然、病院には行っていた。
だが、そこにいるのは、精神科医、心療内科医という肩書を持ってるだけの、ただの人間である。
こちらの苦しみをどれだけ伝えても、伝わるはずが無い。
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そうして、2021年3月……
気づいたら、俺はICUにいた。
「君は、大変なことをしてしまったんだよ?」
眼鏡の先生にそう言われたが、俺は何が何だか分からなかった。
鏡を見たら、首にはどす黒い紐状のあざがついていた。
そう、衝動的に、俺は自殺を図ったのである。
あとから聞いた話。
同居人が、部屋で失禁した状態で倒れている俺を見つけ、心肺蘇生を行ったらしい。
救急車が呼ばれ、俺は運ばれた。
それから、腕を振り回し「ウーウー」と、うなっていたらしい。
身体の機能の中枢をつかさどる脳は、血液循環によって酸素を供給される。
その循環を止めたからこそ、異常な行動を起こすのは当然のことである。
脳死寸前だったという。
呼ばれた肉親は、もう復活の見込みはありませんと断言されたらしい。
俺が病院にいる間、部屋には警察が押し入ったらしい。
薬物や遺書などは無いかなどの調査だったとか。
相手が自分とは言え、殺人未遂に他ならないのだから当然のことである。
加えて、俺を担当していた精神科医には、警察と、ICUのあった病院から「担当のお前は一体何をやっていたんだ?」とお叱りがあったと聞いた。
精神科医はさじを投げ、俺はさらに大きな病院を紹介された。
実は、これは2度目の転院なのである。
うつ病の恐ろしさはそこだと思う。
プロが何人雁首揃えようが、助けられないのである。
助けられたのかはさておき、俺は運命に命を救われる形になった。
1院目でさじを投げられ、
2院目でさじを投げられ、、、
3院目で、俺は大きな病院に、とうとう入院した。
はじめは数日だけの経過観察入院だったが、俺はまた自殺未遂をやらかした。
布団のひもで、首を詰めようとしていたのである。
「ダメだダメだダメだ!!!」
何処から見ていたのか、ガタイの良い男の看護師が3名俺の病室に入って来て、止めた。
放心状態だった。
結局・・・経過観察入院から、医療保護入院となり、それから約4ヶ月入院した。
その間、2度、保護室に入り、最重要管理下に置かれていた。
拘束帯で、身体の自由を奪われていた。
いつ、俺が自殺に走らんとするか、俺本人でもコントロールが効かないのである。
しかし、何をきっかけにするというわけでもなく、俺は徐々に人間味を取り戻した。
落ちるとこまで落ちたことで、爆弾が爆発しきって、逆のベクトルのエネルギーが働いたのだと思う。
退院後、俺はバイトに勤しんだ末に、ようやく社会復帰した。
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あれから、あっという間に2年。
俺は、生きている。
死ぬ以上の苦痛を味わったから、もう、あの頃のような精神状態に戻ることは無いだろう。
いや、あってはならない。
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〇更新記録
・2023年8月30日 記録
・2024年6月11日 更新
・2024年8月3日 更新
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