RETRO少年の懐古録

地下ブロガー

【特別備忘録】同級生が死んだ

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 私のような人間は、一定数いるはずであるが、実際どれくらいの人間がいるのだろうか? 皆、どうやってこの悲劇を乗り越えてきたのだろうか?

 

 あの出来事を、忘れようったって忘れられない。

 忘れるつもりもない。

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 中学校1学年の学期末、友人が死んだ。

 

 いつもと何も変わらないはずだった朝……

 どういうわけか、私は遅刻しかけていた。

 残雪に滑り、派手に転んだ。

 カッパを着ていたおかげで、制服は無傷だった。

 

 学校に到着、教室に到着。

 朝礼までギリギリだった。

 

「はい、おはよう」

「おはようございます?」

 

 何故か、1学年担当ではないはずの先生がいた。

 どうしてだろうか。

 その先生からは「生徒の1人が事故に遭った」ということだけ伝えられた。

 

 1時間目……

 2時間目……奇妙な違和感。

 

「あれ?そういえば○○は?」

 

 どうして気が付かなかったのか。

 友人がいない。

 

 そして、事故にあったのはその友人だったと察した。

 

 3時間目……

 4時間目……

 

 いつもと変わらず過ぎ、給食も食べ終えた。

 そいつがいないということ以外に、異常はなかった。

 

 5時間目だった。

 

 授業が行われるはずが、1学年が全員、体育館に呼び出された。

 行われるはずの授業までもが返上される。

 この時点で既に、事実を察した者もいたかもしれない。

 だが、それを恐れてか、口に出す者はいなかったと記憶している。

 

「○○が、今日の朝X時X分頃、事故に遭った」

 

 朝X時X分、私が丁度、盛大にコケた時刻だった。

 あれは虫の知らせだったのか。

 その後、担任の先生が皆の前に立ち、続けて言ったのは、脳裏に焼き刻まれた、この一文。

 

「午前××時××分……亡くなりました」

 

 「え?」という声が漏れた。

 生まれて初めて、祖父の死を知らされた時と同じ感覚だった。

 楔のような尖ったモノを、心臓に打ち込まれたような感覚だった。

 

 ヤツは昨日まで元気にしていて、同じクラスで一緒に勉強して、一緒に学校生活を楽しんでいたはずなのに。

 

 担任は体育教師だった。

 その熊のような体格の先生が、涙をポロポロ流しながら、絞り出したその声とその様子は、今でもまざまざと思い出せる。

 

「○○はもう、戻ってきません……」

 

 悲しいかな、その後に先生は何か大事なことを言ったように思えたのだが、思い出せない。

 

「同じ悲劇を繰り返すことがないように」

 そんな意味だった気がする。

 

「いや、まさか……」

 

 最悪の予感をしていながらも、恐れていた、あるまじき友人の死を告げられ、私は放心状態で、泣くこともできなかった。

 

 それから6時間目も中止となり、1学年は下校となった。

 皆1人になるのが怖く、連れ立って自転車を漕いだのを覚えている。

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 それから2、3日の間だっただろうか。

 

 夜……

 外から何か、不審な物音がする。

 今思えば、猫かアライグマだったのだろう。

 

 当時の私は、亡くなったあいつが、無念のあまり、一緒にあの世まで連れて行こうとしているのではないかと感じ、怯えて部屋で震えていた。

 

 暗闇が怖かった。

 ふと、後ろを向いたら、半透明になった奴が、無念のあまり地獄の形相を浮かべているのではないかと。

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 葬儀の日。

 同じ週の日曜日だったと記憶している。

 先生も同級生もほぼ全員が集まっていた。

 

 私は何故か、そのタイミングで隣のクラスの気になっていた子に自己紹介され、話が弾んでいた。

 

 今思えば、不謹慎極まりない。

 

 棺桶の中で花々に囲まれているあいつの顔は、穏やかだった。 

 口のところに少々怪我をしていたが、恐らく事故によるものだろう。

 

 葬儀は、特にトラブルもなく終わり、そののち、私含め、同級生は皆解散した。

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 だが、私はここで、強い悔恨がある。

 何故、奴の骨を拾わなかったのだろうと。

 

 拾わなくてもいい。

 だが、焼き場に居合わせることは出来たはずである。

 

 奴は、そんな骨だけの姿を見られたくはないと思っていただろうか?

 しかし、奴が天国へ行くのを友人として見届けてやれなかったのではないかという思いが、往々にしてある。

 

 奴は寂しかっただろうか?

 寂しさを感じさせてはいなかっただろうか?

 

 葬儀は滞りなかったとは言えど、親族は病気のごとくやつれていた。

 手を合わせ、念仏を唱える男もいた。

 肩を震わせ、涙を流す男女もいた。

 葬儀に参加して初めて、奴の死という事実に直面し、放心状態になって介抱される女もいた。

 

 告別式が終わったのちに待っていたのは、奴というピースを欠いた、当たり障りのない日常だった。

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 寂しいが、この世は諸行無常

 いつまでも、奴の死に囚われているわけにはいかないのである。

 

 それでも、今になってなお、フッと奴のことが頭をよぎる。

 頭は良くは無かったが、運動が出来て、コミュニケーション能力の高かったあいつが、もしダメダメな私の人生を生きていたなら、どれだけスマートに事を運び、人生をより良いモノにしてくれただろうか?

 

 今私が生きている「現在」は、あの日あの時、プツリと死んでしまった奴が、どうしても生きたかった「未来」なのである。

 

 奴の死を経験したのにも関わらず、私は生き方を誤り、生ける屍となった過去を持つ。

 

 ただし、過去は過去である。

 

 私は奴の死を乗り越えてここにいる。

 最終的に間違いだったとは言えど、私は過去において、その時その時の最良の選択をしてきたのである。あらゆる戦況において、ベストを尽くしてきたのである。

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 もし、過去に戻れるのなら、私はあいつの事故を防ぎたい……

 ……と、幾度となく仮想・妄想したが、奴の死は、もしかしたら必要で重要なモノだったのかもしれない。

 

 本当は、もっと悲惨な事故が起きて、大勢の人間が亡くなる予定だった。

 あいつがあの時亡くなったことで、皆の、不慮の事故に対する安全意識が強化され、その事故を未然に防いだのか。

 あいつは知らず知らずのうちに、皆の命を守ったのか。

 

 考えようによっては、色々ある。

 

 人生万事塞翁が馬という言葉がある。

 人生において、何が良くて何が悪いのかは分からないということだ。

 

 そう考えると、私や、周りの者に降りかかった不幸は、一概に不幸だとは言えないのかもしれない。

 不幸の本質は、もっと悲惨で非情な現実から私を守った、幸なのかもしれない。

 

 心からそう考えてそう思い、未来に踏み出せるのなら良いのだが……

 

 過去に忘れてきたものはあまりにも多く、重く、大きく……

 視野が狭まっているとは言えども、そう捉え難いのが現実である。

 

 それでも、前と上を見ていきたい。

 苦しいほど、楽なことは無い。

 苦しみを感じられない世界に、楽は無い。

 

 生きろ。

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〇更新記録

・2024年12月27日 記録

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